どっからどこまでとはまだわからないけど、
心と魂は違う。

こういう話になると、いろんな用語があってものすごく混乱してしまう。
または、私たちは時間をかけて訳がわからなくなってしまった。

感情的になるものと魂を揺さぶるものは違うみたい。

経済、時間、物、地位、生きることに執着しすぎると、
魂はどうも小さくなるよう。

人と比べたり、自分を卑下したり、または誇示したり。
自尊心を失う時、無能と感じる時、このまま生きるしかないと思う時、
人の目が異常に気になる時、あるいは人と競っている時。
そんな時も魂はきゅーーーっと萎縮している。

何か始めようという勇気も持てないし、
アウトプットすることもできなくなり、インプットだけを始める。
情報ばかりが目について右往左往。
そうしたらまたきゅーーーーと魂が小さくなる。

あるいは、まったく自分が持っている魂の性質とは裏腹な
常識で生きる。
他人軸になることに躍起になってるし、
自分はそれが幸せだと思い込んでいるので、
気づかないでずっと悩んでいる。

それを繰り返してると、どんどん魂が小さくなり、
しまいには鎖がかかって、二度と大きくなるなよ、と言わんばかりになる。

こうなると、経済の言いなり。お金や生活の言いなりになってしまう。
人に振り回され、自分がわからなくなっていく。

魂が萎縮している時ってのは、
肉体やそれを取り巻く環境がいくらすごくても
死んでいるのと同じ。

 

今の時代に意味がないと思われることであっても、
それをやると自分が生き生きするんだ、というものは
やるべきかと思います。

ほんとは、何事もダメなもんなんてない。

魂が魂レベルに働きかける何かに触れると、
感動という感覚を超えたところで、ん?と反応する。
あるいは涙が出ることも確かにある。
動かずにはいられないと思うこともある。

だけど、魂と肉体が切り離されている状態だと、
メッセージが受け取れず、無視ししてしまい、迷うようになり、
さらに情報が欲しくなる。

魂と肉体を切り離された状態になった原因は、
自分ばかりのせいではない。
いろんな理由でそうなってしまった。

の理由・諸事情(魂の諸事情)としては、
試しに一度切り離してみた。。。ということだと思う。
どうしてこうなっちゃうの?と考えて、魂の存在を思い出すために。

魂のメッセージを聴いて、大きくなっていれば、
そんなにひどく悪になることはない。
むしろ、いいエネルギーを発散している。

そして、千差万別というように魂はそれぞれの色・形・質で
つまり、持ってる魂で人それぞれの役割が与えられている。

それはどんな仕事につくかだけではなく、
元気を与える人、癒しを与える人、話を聞く人、導く人など。。。いろいろいる。
そこに気づけば、
仕事などやめる必要ないという結論に達するし、
自分らしさを表現できない状況、人間関係があるなら、辞めるという決断もできる。
そして、時に、自分の考えをごろりと変える勇気も持たなければいけないし、
変えない頑固さも必要だ。

もし、その全ての魂がイキイキ生きれば、
あぶれる人などいないはずであるし、
それを尊重できる世の中であれば、イジメはなく、
平均寿命というわけのわからない物差しに翻弄されず、
人それぞれ人生を全うできるはず。

それは虹色のように人がすべてリンクしていくかのような状態にも見える。
あの人あって、私のようなことなんだと思う。
時にライバルにも出会うし、とても気の合う人にも出会う。

ポジティブでないといけないとか、真面目でないといけないとか、
または真面目はダメだとか。。。そんな言葉に左右されなくていい。

人の真似になるとも思わなくて良いし、全く違う奇想天外なことでもいい。
無理にバカになろうとしなくていいいし、あるいはえらくなくてもいい。

そんな風にそういうところの理解が増えれば。。。
不必要にアルツハイマーのような状態になることもきっとないし、
仮になったところで裏事情で帳尻合わせてるだけでもある。
周囲の家族はボケた人をボケさせてあげるってのも愛情なのかもしれない。

因みに、アルツハイマーってのは、なんとなくだけど、
肉体の燃焼と魂の燃焼が一致してないことから起こることなんじゃないかと思う。
体は生きている、または衰弱してるのに、魂がまだ生きてる、あるいは死んでる。
そんなアンバランスで起こることなのかな?と思う。
というか、単にあの世へ行く準備期間、帳尻合わせをしている期間なのかもしれない。
だから、家族はあの状態を悩むよりも、
人ってのはあの状態は必要で寿命を全うしているんだと思う方がいいのかもしれない。

そして、ピシャッと死ねた人は立派な人ということでもないと思う。

因みに、死後はどうなるって、魂は生きる と思う。
ずっと生きる。

お年寄りで一人で死んでいるケースは、死ぬことを決意された方かもしれないから
かわいそうなのではない。一人で死ぬことを恐れる必要はない。
人に見られないところで死にたいという人だっているはずだ。
(だいたい動物は家族に同様与えぬよう隠れて死ぬ種が多い)

今回は今の時代にとってはちょっとネガティブだと思うことを
題材にしてしまいましたが。。。

ほんと、人にはそれぞれにちょうど良い人生があると思う。
魂の存在に大小も実はなく尊重された存在だと思う。
でも、目に見える肉体的世界には平等に扱われるわけではない。
または平等に扱われてないと思っているだけだ

自分に与えられたミッションを実行すると魂のレベルが上がることになるが、
他の魂より優れているということでもない。
しかも魂レベルを上げたら、質素な暮らしになることもあるし、
突然大金持ちになることもある。
でも、それもまた、どうですか?次の暮らしは?と言われているに過ぎない感じもする。

受験勉強のように難易度はなく、その人にしか解決できない事。
それぞれが学んで、やがてまた一つになろうとしているのかもしれない。

それぞれがイキイキ生きて協力できる(一つになる)世の中になればいい。
超理想論かもしれないけど、
なん億年、いや永遠に近い月日をかけて、そういう方向へ行くようになっていると思う。

あ〜 こんな話をしていると、なぜか旅がしたくなってきたな〜笑
私の魂はどうも旅が好きみたいです。
あなたは何が好きですか?

*感情は、痛い、辛い、嬉しい、幸せ、悲しい、腹が立つなど、普段自分たちが感じている感覚。
魂は、体の外側から体を取り巻いているエネルギーのようなもので燃えている感じ。